とりあえず今日はやりません
ベランダの水抜きをするか、本気で悩んでいる。
ちょっと放っておいたら、我が家のベランダがプール開きしてしまった。
梅雨の時点で怪しかった。夏の夕立がとどめを刺したのか、気づいたときには完全にベランダの排水口が詰まっていた。今日の時点でも詰まっている。と言ってもそこまでひどいものではなくて、ちょっと掃除したらすぐ直りそうな感じではある。なんなら蚊が湧きそうだわ洗濯は干せないわ、そもそもベランダが激烈劣化しそうだわで、こんなん書いてないで今すぐ直した方がいい。
が、直していない。というか、直せていない。
面倒なのはもちろんある。ただ、本当にそれだけではない。
窓から見えるこの景色が、どうにも手放しがたい。
水だとか光だとか、元来そういうものが好きだった。市民プールに行けば外からも水中からも水面を見ていた。グラスに水を入れて、窓辺においてじっと眺めていた。水面をつついて、かき混ぜて、小さな泡が消えていくのを、飽きもせずに見ていた。
とはいえ、プールからはいつか上がらねばならないし、グラスの水も捨てなくてはならない。ベランダの雨水も、抜いたほうがいい。そう思いつつ、ずるずるとこんな状態が続いている。
梅雨頃は、窓のそばでうろうろして、雨粒の作る波紋を眺めていた。
先週は、朝のひかりが反射して天井が揺らめいているのを、ぼんやり見ていた。
今。机に向かいながらも、時々ベランダのほうに視線が行く。エアコンの排気でほんの小さな波を立てながら、夏の日差しを湛える水面を、見ている。
まだ梅雨のはじめのころ、一日中雨の降っているとき、水たまりを見ながら「このままでいてくれないかな」と思った私がいる。そのちょっとした願望が偶然叶ってしまった。
今椅子から立ち上がって、排水溝に詰まったゴミをよけてしまえば、この景色がどこかに行ってしまう。自分の手でなくしてしまうのが、嫌で嫌で仕方ない。なんで貰ったものを自分で捨てなきゃいけないんだ?
小さい頃の自分だったら、多分このままにしていただろうと思う。欲望に忠実で、きれいなものが好きでいればいいなら、こんな残酷なことをしなくてもいい。私には、それなりに考えられる頭が与えられてしまった。ベランダでダメになっていくサンダルを、本当にダメにするわけにはいかないのが、きちんとわかってしまう。
そういうことが、あまりにも切なく、名残惜しい。
今日は夕立が来ないといい。しばらく快晴が続いて、私の手からこの景色が取り上げられてしまえば、私も気が楽というものである。